リハビリテーション新聞: 褒めれば役割を与えられる

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褒めれば役割を与えられる



協同企画:の記事 25.2.15



@Makoto_ATOM   役割をみつけるにはどうしたらいいのか。そもそも役割とは何か。人には役割が必要なのか。ゆっくりと窓辺で読書をしたいと言う方に、「部屋の片付けをしましょう」なんて提案は適切なのか。セラピストはどう患者さんと寄り添うべきか。まず、患者さんの「~がしたい」を引き出したい

役割は特定の行為ではないんでしょうね。他者に対して何かしらの肯定的変化を及ぼすこと。それによって他者からの承認を受けるいうこと。役割は他者との関係性の中にあって、実はそこら中に満ち溢れているんじゃないかな。溢れているからこそ見えにくい。


例えば利用者相互が会話をしていて、笑顔になっている時に、それは互いが相手に対して肯定的な変化を及ぼしているということだと思うんです。だからセラピストが立ち寄って、ふたりは互いに素晴らしい影響を与えていますねと、意図的な解釈を説明する。


要するに、自然的な営みに対して、他者による意図的な解釈がなされた時に、それが役割として昇華する。だから素人であれば見過ごすありふれた要因を、意図的に解釈して、利用者を承認することがセラピストの役割だろうね。


すでになされていることを解釈する。肯定的な解釈を本人に説明して承認する。自然的な営みが、意図的な解釈を提供されることで、意識化されていく。意識化されることによって、それを洗練する道筋が見えくる。やがてはその人特有の役割へと発展して、新たな行為が創出されていく…


こうした循環の形成のためには、役割を探すことではなくて、すでに行われていることの肯定的解釈が重要なのだと思います。



@Makoto_ATOM   国語力のないボクには読解するのが難しいです...新しく何かをする事ではなくて,すでにやられている何気ない活動をセラピストが承認することで,本人にそれがいい事なんだと気付いてもらう,気付ければさらにもっと…という感じでしょうか??全然違いますかね??

回復期のリハビリについて自分は無知なので、創造というよりは妄想ですが、利用者の可能性が前提にあって、それは身体的な感覚の中にある。けれどもクライアントはその感覚を使いこなせないですね。身体の感覚と、意識が断線を起こしているから、機能しないわけです。だから身体の感覚と、その人の意識の間に生じた断線を修復する作業が、リハビリテーションの役割のひとつではないでしょうか?本来のポテンシャルは、意識化されることによって活用される。そういう事ですと、余計に分かりにくくなってすみません(笑)

@Makoto_ATOM  よくわかります.身体と心の乖離の修繕はリハビリテーションの根幹だと思います.本人の意識の変化を望まないセラピストはいません.肯定的な姿勢って,口で言う程簡単ではなさそうですね.誠実な態度に通ずるものです.

身体に眠る可能性を引き出すために、感覚を促進して、それを意識で捉えることができるようになるために、セラピストは様々な手法を用いると思います。そして介護士は、身体と意識ではなくて、意識と外界の断線を修復しようと試みる訳です。


身体に眠る可能性を、感覚を通じて意識化することで、はじめてその可能性が顕在化して、意図的に活用できるように、人間の個性もまた、自らが意識することで、意図的に活用できるようになります。この意図的と言うことが、すなわち主体性です。


本来は歩行できるポテンシャルを秘めていたとしても、感覚を意識化できない場合には、歩行は難しいと思います。同様に、人間の個性もまた、それを意識しなければ、有効的に活用することが難しい。この時に、クライアントが自らの個性を知るためには、他者の認識が必要です。


人間の本質的な特性ではないかと思うのですが、人間は他者の認識の手を借りることで、はじめて自分を理解する。貴方はこの要素が素晴らしいと、他者から承認されることで、人は自らの強みを知り、それを意識化して、発展させることができる。


かなり長くなりそうなのでここら辺で辞めておきましょう。長い妄想にお付き合いしてくれてありがとうございます(笑)これは大変に重要な話しなので、ゆっくりと進めましょう!



<皆さまとの意見交換>

@Nさん  役割はそこら中に溶け込んでるよねー。けどそれを意図的に伝えるという方法は思いつかなかったわ! 
@yuumatan  より良いことを前進させるためには、認識という土台が必要なんだ。自分では自覚できないことを、他者が解釈して提供する。物事の発展の極意だよ。もちろん、リハビリテーションにおいてもね!
@2008pt編集後記 3歳くらいまでの子どもって、何を与えても喜んでくれますね。親であることを承認されて、与える役割を貰っている気がします。