リハビリテーション新聞: 全国老人保健施設協会へ手紙を出した

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全国老人保健施設協会へ手紙を出した





協同企画:の記事 24.7.20



全国老人保健施設協会へ


私たちはまるで、地図を持たない航海のように、押し寄せる波に翻弄されながら、右に左と船を傾かせている。何処に向かうべきかを知らないままに、何かしらの問題が発生してはそれに反応していく。そこに建設的な意図はなく、目的もなく、問題と反応の繰り返しという穴埋め作業に途方もない歳月が消費されていく。


こんなはずじゃないと、心の奥底では誰もが気づいている。けれども、多くの人は自らの声に気づかないふりをする。私たちは変化を求めるのと同時に、変化を恐れもするからだ。突如として、情熱に溢れた人材が私たちの前に現れることがある。彼らは現状を肯定しない。彼らは私たちの惰性的な態度を強く否定して、利用者に対する貢献に目覚めよと声高かに叫ぶ。けれども私たちは、彼らの情熱をことごとく黙殺する。そして情熱を持つことは辞表と表裏であるかのように、彼らは例外なく私たちの前から去っていく。


「さようなら。ここには自分の居場所がない。結局は、自分のような人間が生きていける場所ではないんだ。」


形式的な理念が眩い光を放っていても、その光が私たちに届くことはなく、まるで光合成を失った植物のように、多くの現場が枯れ果てている。どのような研修に参加しようが、それは太陽の光が降り注ぐお花畑での話しであって、光の遮られた私たちには関連性がないと、常に自らを例外的に捉えている。


「とても素敵な話しだけれど、私たちには関係がないわ。私たちの現場は泥沼で、美しい花を育てるには不向きなの。話しとしては面白いし、それが実現したら素晴らしいことは認めるけど。」


私たちの多くは、自らにある可能性を否認している。挑戦という言葉に臆病になり、活力のある希望に満ちた現場の風景などは、自分たちには縁のない遠い世界のおとぎ話だと思っている。


白雪姫の物語を知っているように、自己実現という言葉は誰もが知っている。けれども私たちは、それが私たちの日常と密接な関わりがある構成要素とは捉えていない。あくまでそれは架空の物語であり、歌であり、詩に過ぎないのだ。


理念や知識の光が増すほどに、私たちを取り囲む状況の影は色濃くなる。理念と実体の隔たりを生み出す要因は何か?その答えは、驚くほどシンプルだ。私たちに足りない要因は、知識ではなく、概念でもなく、あるいは私たちを縛り付けるシステム障害でもない。物事の根源はもっと基礎的な土台にある。それは私たちの人生に向き合う態度であり、私たち自身が抱える人生観であり、私たちの生き方そのものであるのだ。


私たちは自らが追求しない領域において、他者を導くことができるだろうか?挑戦という言葉に臆病になり、リスクばかりに気を取られる私たちが、どうして利用者の挑戦を後押しできるのだろうか?自らの不足を嘆き、それに囚われ続けて、建設的な志向性を放り投げた古臭い習慣の実践者が、どうして利用者に対して、目標志向を押し付けることができるだろうか?


目利きの出来ない魚屋は、当然として、粗悪な魚を顧客に提供するだろう。店頭に並べる魚の品質を保証するためには、魚を見つめる眼を養わなければならない。けれども私たちは、利用者のより良い生活に向けた支援者でありながら、人間の人生を見つめる視点はあまりにも貧相だ。


私たちが利用者の人生における道案内役を務めたいのならば、まずは私たち自身が、利用者に提供すべき道を歩み、自らの人生を通じて、その道を熟知するべきである。利用者に自己実現を説く前に、私たちはまず自らに問いかけるべきであろう。私たちは自らの人生において、いったい何を実現するべきなのか?老人保健施設として、あるべき姿とは何かを。


私たちは目的を失った無軌道な航海と決別しなければならない。さて、私たちは後ろを振り返らずに、目線を前に向き直そう。私たちが何を実現するべきなのか?将来を見据えた明確な地図と羅針盤を、今こそ大胆に掲げよう。



<皆さまとの意見交換>


@2008pt 解釈良好ですか?「老健は、自立と成長を提供する場である。その老健が依存と抑制を管理する場になっているのは大問題だ。あげく、そこから派生した空虚の問題に振り回される始末だ。結果、ただ空床をうめて採算をあわせるだけの預かり施設に成り下がる。さぁ最初の大問題を解決しよう。」 
@yuumatan その通りです。
@2008pt編集後記 記事 「いいね!」がなければ動けないと合わせて読むべき。