リハビリテーション新聞: クライアントの夢に付き合えているか

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クライアントの夢に付き合えているか



協同企画:の記事 25.2.21

昨日は沖縄での夢プロジェクト (寝たきりになって長い男性。家族と職員全員で叶える夢プロジェクト) の成功を知って、素晴らしい刺激に心が昂ぶり、沖縄で自分が仕事をする想像(妄想)を膨らます楽しい日となった。アイデアに価値はない。それを具現化する実践力にこそ価値がある。だから沖縄での知らせは、自分よりも一枚も二枚も上手だなと、心から感心した。


介護保険という枠内を飛び出して、あるいはその人の身体機能を超越して、地域参加に直接的に斬り込む挑戦のあり方は、作業療法士の歴史と相通ずるものがあるように思える。検査重視の歴史の最中で、もっと早期にその人の生き甲斐に関わる作業に介入できないのかという歴史的な挑戦と同じ匂いがする。


検査重視の歴史の最中で、新たなパラダイムに挑戦した第一人者は、いかなる心境を抱えていたのだろう。周囲の冷めた視線に、心を痛めることも日常茶飯事だったろう。アイツは仕事ではなくて、遊びながら給料を貰っているんだと、他のセラピストの無理解に、追い詰
められたこともあったろう。


セラピストも人間に過ぎない。すべてを投げ出したくなる日もあったはずだ。それでもセラピストが前進できたのは、そこにクライアントの喜びがあったからだろう。新たな概念に挑む時に、他者からの承認を必要とするのはセラピストも同じだ。孤立という息苦しさを跳ね除けるほど、エビデンスは強くない。


科学的な根拠だけでは、人間は我が身に降りかかる孤立を払うことはできない。それがどれだけ正しくとも、人間は周囲の関係性を優先する。けれども、彼らは周囲のセラピストからの冷めた視線に妥協せずに、前進することができた。言い方を変えると、彼らに承認を与えたのは、別の対象者だった。


それはクライアントそのものであったろう。周囲との隔たりの最中で、クライアントの笑顔が彼の挑戦を繋ぎとめた。そして彼は必死になって、クライアントの笑顔の理由を、面談の中で確認しただろう。もはや支援関係が逆転して、クライアントがセラピストを慰めて、勇気づけて、発展の道筋を指し示した。


作業療法士の中で、クライアントとのパートナーシップという言葉がいかなる意味を含んでいるのかについて、自分はまったく知らない。面談を中心とする作業療法のあり方が、いかなる説明と解釈がなされているかについて、自分はまったくの無知だ。


けれども、新たなパラダイムの創世記に、パートナーシップと面談中心のあり方が、セラピストの精神的な支柱になったことは、自分の想像ではなくて、事実であったと断言できる。パートナーシップとは、それがクライアントにとって有用であることだけではなくて、周囲との隔たりによる孤立感を、クライアントの温もりが埋めてセラピストの苦悩に対して、クライアントが歩むべき道筋を提示するということ。つまりは、セラピストが前進する原動力を培うためにも有用なのだ。


『協業』という言葉の誕生は、私たちが想像する以上に、セラピストの差し迫った心理的危機に差し込んだ活路の光だったはずだ。



話しをもとに戻そう。その人の夢に基づいて、地域に直接的な参加を促す夢プロジェクトは、新たなパートナーシップのあり方を提供するだろう。そこには様々なリスクが存在する。物理的な不便さがあるかもしれない。周囲の偏見の視線を浴びるかもしれない。けれども、そうしたリスクを含めて前進しよう。


貴方が果敢に地域との接触を図ることで、地域が変わると思う。傷つくこともあるかもしれない。数えきれない痛みを味わうかもしれない。けれども、貴方が第一人者になることで、同じ想いを抱く利用者の道筋が整う気がするんだ。それは歴史的な役割で、貴方だからこそできる仕事だと、僕はそう想うんだ…




<皆さまとの意見交換>


@上さん  大したことはしていないですよ,雨澤さんの方がおもしろいことをやっていると,ボクは本心で思います.みんなが楽しく仕事をできて,高齢者も楽しく生活できればいいですねぇ

@19strawberry63 この関係性は、親と子、教師と生徒、上司と部下、さまざまな場面で当てはまるものですよね。
@yuumatan  本当ですね。成長の原理は、どの領域においても共通していますね!
@2008pt編集後期  本当のセラピストは「やりたい」の請負人ですね。