リハビリテーション新聞: 「支援」を「支配」にしないためにすべきこと

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「支援」を「支配」にしないためにすべきこと



先日、あるジャーナリストに取材を受けた。その時、鋭い指摘がはいった。「あなたは、患者を社会に返すと言っている。それは生き方の強要ではないか。」


どうしてこんな印象をもたれるのであろうか。リハビリテーションといえば画一的ものを提供するものだと思われているのかもしれない。でも、それは違う。本当のリハビリテーションはお客から注文に忠実だ。



例えば、1990年代、機械に疎いAさんが、コンピューターを欲しがったとする。この時、コンピューターの専門家は、Aさんに何を提供すべきか。高機能の商品を売りつけるべきか。パーツの揃え方や組み立て方を指導すべきか。それとも使いやすいiPadを開発すべきなのか。



答えは何か。専門家があつまって会議をしても答えはでない。なぜなら、答えはAさんの中にあるからだ。お客は、目の前のAさんだけだ。Aさんに聞いてみよう。「目的は何?なぜ?なぜ?」 これだけで、答えがみつかるだろう。



こういう話をすると、反論される。「顧客のニーズからは顧客が想像できる範囲の製品しか生まれない。つまり良い製品はにはならない。」なるほど。ごもっともだ。iPadだって、知るまで求めもしなかった。



この正論を言っていいのは、iPadをコーディネートとした人物だけだ。コンピューターをつくるとき、高性能のパーツをバラバラに売りつける。一つ一つは最高品質のパーツでも、作品が完成しないのでは意味がない。もう最悪だ。



全体をみない自称専門職がよってたかってサービスを提供しても、チグハグになる。だから言う。「横断的なサービスをコーディネートすべき。そのために、家屋環境や社会背景を知ろう。生活を知ろう。」 リハビリテーションにおける作品とは「生活」だ。それだけだ。



完成品でなにをするのか。コンピューターを使って何をするのか。これを追求して「役割」を増やそうと思ったとき、はじめてiPadを創造する段階になる。しかし、多くのひとのすべきことは、あたりまえのコンピューターをあたりまえのようにつくる。まずはそこからだ。


患者は、我々専門職に仕事をくれる。患者こそがプロジェクトリーダーだ。しかし、あまりにも疎い。我々を統制できない。我々の役割もわかっていない。明確なビジョンをもっていない。問わなければ気が付かない。だから気が付かせなければならない




「あなたは、患者を社会に返すと言っている。それは生き方の強要ではないか。」 いいえ。本当のリハビリテーションはお客から注文に忠実だ。リハビリテーションは「既製品」を売り物にしない。売り物は、「お客と一緒にオーダーメイド(生活)をつくるコーチング力」 だ。


入院患者の退院”支援”。「協議」を省けば”支配”になりさがる。


H25.2.21


<皆さまとの意見交換>


@rei_ueno私、そんなこと、言いましたっけ?「生き方の強要」とか。真逆な話をしたと思うんだけど。
@2008pt  はい。導入部分で問題提起されました。しかし1を答えれば10の答えがかえってきましたので、「ああ!上野さんはわかってるな!」と思いました。誘導してくれたのだとおもっています。
@tank869 介護職、ケアマネのような生活により近くの人達にも言えますね。
@2008pt  いえますねぇ。世の中の虚栄の正体だとおもっています。