リハビリテーション新聞: リハビリテーションで何をつくっているのか

ページ

リハビリテーションで何をつくっているのか




これを読んで創造することについて考えた。
本当にひとり立ちしたい人は、なにかを育てるといいのよね。子どもとかさ、鉢植えとかね。そうすると、自分の限界がわかるのよ。そこからがはじまりなのよ。 「キッチン 吉本ばなな”」

冬のある休日、私は玄関先の松を剪定した。この松は祖母の形見だ。松について勉強をして挑み、5時間休まずやった。その後、以前は見過ごしてきた、町にある松に関心を持つようにようになった。


つくる経験をすると、他人の作品に興味をもてるようになる。作品にこめた想いを感じることもできる。つくる側にならないとわからないことだ。さて、ここで問題提起をする。 「私たちは、入院患者のリハビリテーションを通じて何をつくっているのか?」


私が入院リハビリテーションでつくっているのは「退院後の生活」だ。しっかり設計しなければ生活が成り立たずに再入院となってしまう。このように、つくるものを明確にすれば、失敗作に気が付くことができる。例を出していく。


例1。忘年会や家族旅行。受け身になって参加しているだけでは幹事の配慮はわからない。幹事になったとき、フリーペーパーに頼ればいいと思っていた。しかし、自分の作品を作ろうと思ったら交通やトイレの場所、席、料理の質など様々な問題にぶちあたる。参加者に車椅子の方がいれば尚更だ。それらを乗り越え、楽しい宴をつくっていく。

例2。子育て。独身のころ、子どもと散歩している親子をみかけて暇つぶしでもしているのかと思った。しかし、当事者になると色々みえてくる。水たまり、雪、どんぐり、散歩をしながら目の前にあるモノの名前を教えると、子どもがどんどん話すようになっていく。

例3。野菜づくり。野菜はスーパーマーケットで入手するものだと思っていた。綺麗な野菜が善だと思っていた。しかし、自分で野菜つくってみると種や薬、虫のことがわかってくる。皆んながどんな野菜を欲すれば環境に優しいのかもわかってくる。


例4。まちづくり。地域の老若男女が集って共同作業をしている姿をみて、近所付き合いをしているのだと思っていた。しかし、企画してみるとどうやら違うようだ。まちの生活をなりたたせてきた文化を次世代に継承するために必死になっている。なにがそれを邪魔しているのかもわかってくる。

このように、つくる側になってはじめてわかることがある。コマンド入力されたロボットになっているだけでは何もわからない。だから、他人の創作活動に参加したとしても、自分のつくっているものをハッキリと定義すれば良いと思う。そうしなければ、自分の作品にはならない。


私にとって退院支援とは作品をつくる過程そのものだ。アートであり、デザインである。その作品が社会で輝けば本望だ。私は思う。入院リハビリテーションから退院支援を除くと、それは、ただの"落書き"だと。


以上、つくるものがわかっていなければ、その影響力にも気が付けない。でした。


H25.1.31


<皆さまとの意見交換>




@nobukazu1983  初めまして。大阪で理学療法士をしている者です。先生のこの一連のつぶやき、すごく共感できます。また、自分ではうまく言葉に表せないことを上手く表現されておられて、とても勉強になりました。これからも学ばせて頂きます。よろしくお願いします。