リハビリテーション新聞: 介護施設におけるガラクタの提供

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介護施設におけるガラクタの提供


協同企画:の記事 H25.2.24

利用者の主体的な活動によって通所が成立するということ。そのためには、利用者の潜在的な力を信じることが必要だ。多くの施設は、利用者の役割を謳いながら、ガラクタばかりを提供する。介護施設におけるガラクタの提供は、根底に不信があるからだ。


不信があるから、責任の伴う作業を利用者から遠ざける。残るのはあまりにも幼い遊戯だけだ。今日の日曜デイでは、利用者に明日の準備をしてもらった。明日の利用者を把握して、キャンセル状況を確かめながら、名札を仕分ける仕事だ。


多くの介護士は、利用者に責任が伴う仕事を任せることを恐れる。利用者はミスをするだろうという先入観がある。この先入観こそが、ノンバーバルだ。利用者の潜在的な能力を信じること。また、利用者の誠実な人格を信じること。責任の提供は、その人を尊重する最も高度なアプローチだ。


責任の伴う仕事を任された時に、人が他者からの承認を実感することについて、

疑いの余地はないだろう。表面上は穏やかでも、心の奥底でその人を小馬鹿にしていれば、仕事を任せることはない。任せることが、最大の尊重なのだ。だから東大宮では、日曜デイを軸にして、利用者の仕事が増えている。


名札の仕分け作業の最中に、個別リハビリの誘いがあっても、利用者は仕事と責任を優先した。それはその人の中で、他者の期待に応えるための意義のある作業だったからだ。意義とは他者からの期待である。そして期待とは、その人に対する信頼である。その仕事を任せるに価するという信頼だ。


共有される物理的な空間と時間とが、健全に成り立つためには、多くの仕事が成し遂げられなければならない。それがスタッフの一方的な努力ではなくて、利用者と共有するということ。それが共生であり、また共創である。それは言い換えると、責任もまた共有されることである。


共に築いて、共に成り立たせて、共に前進するということ。それが東大宮の通所リハビリテーションの目指すべき方向性であり、あるべき姿そのものだ。




<皆さまとの意見交換>


@中さん  潜在的な能力を信じる事が必要なのですね。主体性を引き出す事に苦渋しています。信じる事で主体性を見出せるよう、頑張ってみます。信頼なくして、引き出せるものなど無いんです! 
@2008pt  まさに「皆に優しく、共に楽しく。ノーマライゼーションのまちづくり。」感激しました。さすが優馬さん。  
@yuumatan  木村さんと考える未来は、こんなものじゃないですよ!木村さんとだから見ることができる夢があると思うんです!
@2008pt 編集後記  私たちが、反面教師にしている介護職・リハビリテーション職が叫びそうだ。「あんた達こそ、わたしを信じていないじゃないの!!」   こう反論したい。 「そうだね。利用者・患者を信じてくれないからだよ。裏切られるとわかっていて信じるほどバカじゃない。反面教師の役割を信じるよ。」