リハビリテーション新聞: 「信じる」とは相手の言いなりになることではない

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「信じる」とは相手の言いなりになることではない


協同企画:の記事 H25.2.26



クライアントへの信頼が、すべての始まりなのだと思う。クライアントとの協議によって、あるべき方向性を設定するという試みは、クライアントが協議によって、最善の答えを表現するであろうという信頼の上に成り立っている。信じるべき道を前進する原動力は、文字通り、愚直なまでにそれを信じ抜く力だ。


信頼なき場所は極端な方向性へと走るガラクタに満ち溢れている。驚くほどに、セラピストの考え方にクライアントを組み込もうとして、クライアントの個を押し込めてみたり、気味が悪いくらいに、クライアントの
発言に忠実になって、セラピストの個が埋没したり、いずれにしても歪んだ構成で満たされる


セラピストにとっての最善と、クライアントにとっての最善は一致する。そして互いに不充分な個が、協議によってより良い方向性を模索しながら、相乗効果を生み出して、それまでに互いが意識しなかった新しい可能性へと歩みを進めること。それがパートナーシップだ。それは主従関係ではない。


だから私たちは、相手の個を見つめるのと同時に、わたしの個も見定めなければならない。そして協議によって、互いの個が鮮明になり、より鮮やかに色付けができる絵を完成させなければならない。そのためには、パートナーへの信頼が重要で、それがなければ何も始まらない。そしてそれが、何より難しい


相手を尊重することは、相手の言いなりになることではない。ましては相手を自分の尺度に組み込むことでもない。それは協議によって、互いの人生に有益なパートナーシップを結べることへの期待であり、こうした協議の対象者として、眼の前の相手が相応しいという揺るぎない信頼である。


クライアントにはそれぞれに個がある。だからこそ、その人でなければ描けない夢があり、発見があり、物語がある。そして協議によって、それらの脚本を丁寧に仕上げることで、私たちの人生もまた、豊かになるだろう。その根底にあるものが信頼だ。だからこそ、信頼の土壌を育てることが何よりも重要だ。


けれども、多くの人は精神的な土壌を築く努力を怠ってしまう。成果にとらわれて、様々な種を買い漁っては、それをアスファルトに蒔く。時として、アスファルトの間に咲く根強い花もあるけれど、多くの種は個性の花を見る前に萎れてしまう。だからすべてのセラピストは、改めて自らの胸に問いかけよう。


私たちは本当に、クライアントを信頼していると言えるだろうか?その問いこそがすべての始まりであり、その問いを飛び越して、次なる課題などは存在しないのだ。




<皆さまとの意見交換>


@itoshikihibi  実習中バイザーより相手を尊重することについての話があって、自分の中でモヤモヤしているところでした。ツイートを拝見して腑に落ちました。ありがとうございます。 
@yuumatan  こちらこそありがとうございます!そうした言葉を頂けることが、自分にとっても励みになります!