リハビリテーション新聞: 皆が輝くチームリハビリテーションを目指して

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皆が輝くチームリハビリテーションを目指して


今、私は悩んでいる。一部のご近所さんとチームになれないことに悩んでいる。ワンマンなケアマネージャーと会議や家屋調査をしても、介護漬けのケアプランになる。一緒に会議をした私は共犯にされる。こんな連携は”罠”だ。ボイコットしたくなる。そんな話をする。


私が新人のころ、他職に価値を提供できなかった。病棟の看護師から「Aさんのトイレ移動はどうしよう?」と聞かれても、「歩行器かな。明日の症状増悪が怖いなら車椅子かな。検討してよ。では失礼。」と返していた。ワケがわからない。誰もそんな意見を求めていない。



こんな私でも、週1回のリハビリテーションカンファレンスの主催者だった。議題は、上から指定された「入院患者全員の経過報告」のみ。私にとっては公開処刑の場だった。「で?どうするの?」と、答えを求める医師。私は、専門用語をつかった”能書き”ばかりを垂れていた。とても苦しかった。



参加者は、次第に減り、3人だけになった。病棟看護師はゼロ。完全に見放された。リハビリテーションカンファレンスの格は、ドン底まで落ちた。院長、看護師長は、私を見捨てなかった。よくぞ育ててくれた。感謝している。細々と、だがとても丁寧に会議を続けた。


それから一年後、意味のある経過報告ができるようになった。自分の裁量を知り、答えを出せるようになった。そこで、私は、医療介護連携、退院支援の重要性を訴えた。周囲の反応は「で?やりたいなら自分でやれば?」だった。病棟看護師に味方がいない状況で開催する方法を探った。



半年後、初めての連携会議が実現した。患者家族と外部福祉職のアポをとるだけでも大変だった。看護師は相変わらずボイコット中だ。その穴埋めは私がやるしかなかった。自業自得だった。休み時間返上で看護記録を熟読して、会議に挑んだ。毎週、胃が痛かった。



会議後、議事録の共有に努めた。掲示板、カルテ、朝礼、あらゆる機会を利用して情報発信を続けた。少しずつ、意思統一と退院支援が軌道に乗り始めた。そして、退院日や治療方針についての意思決定がなされる会議に成長していった。全職員の仕事に影響を与える会議になったのだ。



土俵の外からのヤジが飛んでくるようになった。毎日、集中砲火をクラッタ。ある日、私は野次馬に会議への参加を迫った。しかし、せっかくの参加者を放置した。発言しないことを自己責任とした。すると、今度は「発言させてくれない。共犯になりたくない。」という理由でボイコットされた。冒頭に話した、私の悩みと一致する。



以後、参加者全員に輝いてもらうことを最優先に会議をすすめた。それが患者の利益となると信じた。会議の招集、議題設定、司会進行、書記、議事録作成、配布、掲示。全て自分でやった。皆が議事録をみてくれるようになった。外部と協働する方法もわかっていった。



そして2年後の忘年会。幹事の私は、前座コントで気持ちを表現した。マイクを通して大声で言いった。「病棟看護師のみなさん。みなさんが、リハビリテーションカンファレンスに参加してくれるのが一番嬉しい! ありがとう!」 やっとチームになれたのだ。さぁ、次は地域だ!



以上、会議は傍聴するものでも主催するものでもない。皆が自分の作品を発表して輝くパフォーマンスショーだ。



H25.3.7

<皆さまとの意見交換>



@coperu_r  熟読させて頂きました。一年目ptです。働いている病院ではすでに環境が整っており、読ませて頂いた苦労があっての環境なんだなとつくづく感じました。自分からももっともっと提案し最良の設定をチームで考えていけたらと思います。貴重な経験談を書いてくださりありがとうございます! 
@2008pt  すでにレールがひかれていた。これは結構危険ですよ。  
@peilalala  素晴らしいです!苦労が形になっていく様子が目に浮かびました。