リハビリテーション新聞: 患者がコーディネーターになると迷走する

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患者がコーディネーターになると迷走する





平成25年3月。私は、玄関先に、よりよいコミュニケーションができる環境を創作した。手段は、ベンチの作成だ。設計図を描き、ホームセンター(理想は地域の荒れ山)で木材を仕入れてきた。完成品は日常に溶け込んだ。だれかが腰をかけてコミュニケーションが生じた時に真の完成を果たす。


今回のケースでは、次の順で”創造性”が増すと考える。「1.脚をつくる。2.ベンチをつくる。3.環境をつくる。4.コミュニケーションをつくる。」 どういうことなのか、述べていく。


効率を高めるために分業化して、脚ばかりをつくっていたとする。当然、脚の生産効率はあがる。しかし、そんなことをしていたらコミュニケーションを創作しているなんて、考えなくなるだろう。いつしか、全体ありきの部分であることを忘れてしまう


そして、独りよがりな脚をつくりはじめる。注文にないものをつくり、満足しはじめる。あるものは、求めてもいない装飾をしはじめる。これは、コーディネーター不在の場合の悲劇だ。だから、職人ばかりをあつめてもチグハグする。横断的なサービスにコーディネートしなければならない。


さて、貴方は、患者から「私をよくしてください。」と白紙委任をされた。さぁ、サービスを提供するために何が必要になるだろう。まずは「患者を知ること」だ。でも問題がある。患者は伝え方を知らないんだ。このとき、貴方は職人ではだめだ。コーディネーターでなければならない。


なぜなら、職人は明確な注文があったときに輝く。それなのに、患者は、明確な注文ができない。ニーズは、需要に変換しなければならない。職人はコーディネーターと手を組むべきだ。ピーター・ドラッカーも言っている。「デザイナーの仕事はニーズを需要にかえることだ。」


コーディネーターは、職人とコーディネートについて議論をしても仕方がない。また、職人仕事について議論しても仕方がない。この二人の間に必要なものは、「明確な注文の共有」だけだ。



コーディネーターにとって、職人は問題解決の一手段となる。職人が、一手段で甘んじないためには、他にかわりがいない逸材にならなくれはいけない。その時、職人にとって、コーディネーターは問題解決の一手段となる。


職人がコーディネーターを雇ってもいい。その逆でもいい。職人とコーディネーターは、パートナーシップを組むのが好ましい。それが患者のニーズを満たす。もしも、コーディネーターが不在ならば、患者がコーディネーターにならなければならない。これは大変な負担だ。



H25.3.17


<皆さまとの意見交換>


2008pt編集後記  職人をダブつかせないために、注文を平準化するスキルが不足してる。全てが有機的でなければダメだ。小手先では機能しない。