リハビリテーション新聞: 「言い訳」が「連携」という美名に化けた

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「言い訳」が「連携」という美名に化けた



協同企画:の記事 H25.3.11



先日に事務長と連携についての協議を行った。『連携という言葉を廃止しましょう…』これが自分が事務長に突き付けた問題定義だ。入所スタッフと相談員の連携が機能しないために、いかにしてそれを円滑にするのかについて、会議の度に話し合われる。これが大変に無駄であると、事務長に問題定義をした。


入所スタッフと相談員に溝がある。その溝とは物理的な空間の隔たりである。入所スタッフの生活空間は2階と3階だ。これに対して、相談員の生活空間は1階の事務所になっている。この隔たりを埋めるために、連携が必要になる。溝を放置して、その穴埋めを強化しても、問題は繰り返される


生活空間が物理的に離れていることで、必然的に連携の必要性が生じてくる。相談員は利用者の生活を生で見ることができないから、それを確認するためにカンファレンスを設ける。何かしらのアクションが起こっても、その場にいないから、情報の漏れが生じてくる



情報の共有は最低限の必要事項である。だからこそ、その条件を満たすために、様々な業務が生み出される。そして皮肉にも、業務過多に陥って、情報の漏れは多くなっていく。情報の共有が課題として挙がり、その対策による業務の増加がスタッフを縛り付けて、かえって当初の課題は悪化する。


そして最も哀しいのは、情報の共有という最低限の事項を満たすために、カンファレンスという貴重な時間が消費されてしまうことだ。情報の共有は目的ではない。あくまでそれは条件である。その条件を満たすために限りある資源が消費されて、目的は埋没したままに、カンファレンスは終了する。


課題に対する根本的な原因を掘り下げずに、中途半端な形で対策が練られると、対策としての業務が増加して、それによって課題が解決するわけでもなく、むしろ悪化しする。そこにまた新たな対策が組み込まれて、もはや身動きが取れなくなる。こうした悪循環は至るところで垣間見える。


課題に対して真の原因を掘り下げる習慣は、チームが身につけるべき必須のスキルだ。対策とは業務である。これは限りなく少なくして、身動きを阻害しない軽い体制が築かれることが望ましい。そのためには物事の根本まで掘り下げる必要がある。それができなければ、チームはマイナスを埋める作業で充満してしまう。


話しを元に戻そう。入所スタッフと相談員の課題について、その根本的な原因は明らかである。それは生活空間が異なっていることだ。だからその対策は、相談員のデスクを、入所スペースに移すということになる。物理的な隔たりが、職種による別々の動きを作り出す。別であるがゆえに、連携が必要になる。


それぞれの動きを一体化させること。それが協働である。だから協働と連携という言葉は厳格に区別されなければならないと思う。々の動きに整合性をもたらせる試みが「
連携」だ。これに対して、動きを一体化させる試みこそが「協働」になる。だから連携と協働は矛盾する。真の協働は、連携を不要にするのだ。




<皆さまとの意見交換>
2008pt編集後記  とある飲食店。ここの料理は、新人コック5人で作っている。何を作るのかを相談しないまま、様々なトッピングして、次に送るリレー方式だ。客から苦情が出たら、5人とも言い訳をする。彼らはこれを「連携」と呼んでいる。 そこで、苦情係を雇う。この苦情係は、皆のやっていることに整合性をもたすために、八方美人でいなければならない。こんなことでは輝くものはない。皆が輝く組織は、それぞれが得意なこと特化し、それが合わさって全体に貢献する組織。そこに 「協働」 がある。