リハビリテーション新聞: いつでもトイレにいける素晴らしさとは

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いつでもトイレにいける素晴らしさとは




施設運営において、排泄のあり方は徹底的に重要な意味を持つ。たとえ食事の最中であろうと、レクリエーションの途中であろうと、利用者の排泄における訴えは徹底的に解消されるべきである。


それは利用者の訴えに忠実であることだけではなく、常に訴えられる環境が整っているかということである。


たとえばトイレが頻回な利用者がいたとして、スタッフが威圧的な態度を取った時に、それを見た他の利用者は排泄を訴えることができなくなる。スタッフが不在であったり、忙しそうに走り回っている場合に、これもまた利用者は自らの欲求を打ち明けづらくなる


こうした諸々の悪条件によって、利用者のパット内失禁は増え、時として尿意すら失っていく。食事のパターンはある程度どの利用者も一致するが、排泄はまばらである。よって、食事のように集中はできず、分散型のケアである。だからこそ、排泄こそが、施設の全般的な質を図る尺度になる。


排泄欲求の徹底的な解消によって、利用者の欲求が底上げされるのは事実である。生理的欲求の充足によって、利用者は新たなアクションを起こす。その僅かな変動を見逃さずに、明確化し、実践して、承認していくこと。


利用者の回復とはその地道な作業の繰り返しだろう。


まずは利用者の低次欲求に忠実になるということ。そして利用者の欲求の底上げに応じてスタッフ側の変容を促すということ。利用者の主体性に寄り添うその姿勢は、チーム運営のあり方に決定的な変革をもたらすことになる。


なぜならば、ともすれば利用者のあるべき姿を専門職が指示していたのに対して、利用者の欲求が、私たちにどうあるべきなのかを指示するようになるからである。段階として、まずは低次欲求の徹底を。その逆はあり得ない。


もしも私たちが、利用者の基礎的な基盤を無視して、高度欲求に魅せられた時に、施設の大部分の資源とエネルギーが、ごく一部分の利用者のみに投入されることになるからである。


チームの巣立ちにあたって、自分が何を残せたのかを考える。チームの責任者として真っ先に浮かぶことは、自らが成し遂げた試みよりも、スタッフの成長である。何よりも、若いふたりのスタッフの成長は、印象深く心に残っている。



H23年12月  筆者 旧@yuumatan 


<皆さまとの意見交換>


 
@yamasou07 おはようございます。人の成長は苦労があるからこそ嬉しいですね。

@yuumatan 利用者が良くなることを純粋に喜べる無邪気さが、成長の基礎ですね。それをあれやこれやと詰め込んで、成長の種を摘んでいる組織が多いです。秋田から来たスタッフは、良い意味で単純です。それが素晴らしいんですね。

@yamasou07 はい。純粋か素直か。これが成長の素(笑)

@yuumatan 利用者にとってより良いことに素直なんですね。だから僕が間違ったことを言ったら、純粋に批判してくる(笑)

@yamasou07 批判と打開策がセットならば大丈夫です。批判だけなら50点かも。どうすれば可能になるか?可能に近づくか?を考えていく過程に成長の下地があります。

@yuumatan この前もある利用者のトランスを見せたら、こっちの方が良いと思いますと…確かに良かったから素直に謝りました(笑)
トランスの研修なんかに行くと、相手のためにどうのというよりは、自分が楽になるからと説得しなければ浸透していかないと説明を受けたりする。新しい技術やシステムの導入に対しては、確かにスタッフは拒絶反応を起こすことが多い。 
だから、ともかく入り口はどうであれ、結果としてスタッフが技術を受け入れて、それを高めていくならば、最終的には利用者のためにもなるという切り口には説得力があるし、共感できる。けれども、やっぱりそれではダメなんだ。 
利用者に対する技術の選択が、スタッフの都合によって判断される。そうした考えを受け入れることは出来ない。たとえそれがどんなに遠回りでも、それが利用者のためになるという動機を推し進めていかなければならない。