リハビリテーション新聞: 排泄を大事にしない介護士がダメな理由

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排泄を大事にしない介護士がダメな理由



両手で抱えきれないものを欲しがっても意味がない


車椅子を使用している人が歩けるようになる。日中もオムツを使用している人がトイレに行けるようになる。利用者にとって、それは大きな喜びである。けれども私たちは、その基本を軽視して、集中せずに、様々な試みに手を出そうとする


排泄のチェック表を見て、チームの比較をすると、圧倒的に自分のチームの利用者のトイレの回数が多い。トイレに行く度に、利用者は移乗動作を2回することになる。人よりも3回多く行けば、往復で6回の移乗動作をすることになる。月単位で見れば180回である。


排泄は利用者の欲求に根差している。生理的欲求という根強い欲求が阻害されずに、いつでも解消できる体制基盤を築くということが、結果として生活リハビリに繋がっていく。利用者の欲求が先であって、決して機能訓練が先ではない。


利用者が何かしらのアクションを起こした時に、スタッフはすぐに介入するのではなくて、そっと見守る。彼の欲求の正体を静かに探り出す。欲求こそが、生活リハビリのメニューそのものである。


事務長がフロアを見に来たので、チームの方針について説明をした。『まずは行きたい時にいつでもトイレに行けるということ…』生理的欲求が徹底的に充足されることの必要性を力説したのだけれど、事務長は不満な様子だった。


知識が増えるほどに、高次の欲求を見たいという衝動に駆られる気持ちはよく分かる。『旅行に行きたい。』という欲求に応じて、それを実現できたなら、それはサービスとしては華々しいけれど、チームとして手を出すべき領域ではないと考える。


利用者の欲求のすべてを網羅することはできない。その事実を踏まえた時に、チームとしてどの領域の欲求に責任を持つのかを明確にしなければならない。まずは自らが行うべき事柄を徹底的に。そして、自らが補えない領域については、他者の手に委ねる勇気を持つことである。


自らの限界をわきまえることで、始めて地域や社会資源と手を結ぶことができるのである。


私たちの仕事は、突き詰めて言うならば、優しさの追求である。多くの業務に追われ、様々な要求を浴びながら、それでもなお寛容な態度を保持しうるか?優しさとは訓練され、洗練されるべきものである


私たちの仕事は、スタッフの人格こそが、利用者に提供すべき品質そのものになる。


H23年12月  筆者 旧@yuumatan