リハビリテーション新聞: 我々に不足している専門性とはなにか

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我々に不足している専門性とはなにか




それぞれの職種において、最低限に身に付けなければならない技能としての専門性は確かに存在する。けれども、そこからの上積みについては、個人の関心に任せられているのではないだろうか?同じ職種の内部においても、追いかけるべき夢が異なる。成長すべき領域は、個人の関心そのものである。


専門性を問う前に、自らが様々な感情を有する人間であることを受け入れるべきであろう、私が進むべき道は、資格ではなくて、私の心が判断するのである。


間にとって重要な活動を、作業と表現すると、他職種から誤解を招きかねない。これは介護士にも言えることで、専門性という言葉が、専門職のための専門性に聞こえてしまう。だから、あらゆる職種が分かり合える言語が必要だ。


様々な専門職が、それぞれの専門性を高めるために努力し、躍進している。足りないのは、それぞれの専門性を統合するための専門性である。統合に焦点を定めた専門職を創設する。


息子が入院して、患者の家族としての立場を経験した。患者本人も苦しいけれど、それを支える人の気苦労も絶えない。患者本人の混乱に対して、家族の役割は大きい。専門職が心のケアを密にすることは、事実上不可能であろう。この時に、専門職は家族を資源として見なす必要がある


家族は無知である。患者本人の混乱を、冷静に受け止めることは容易いことではない。家族の対応によっては、患者本人の精神面をよりいっそう悪化させる危険性を孕んでいる。ならば家族を教育する他にないのである。それは強制的な指導ではなく、患者を支える一員として手を握るということである。


孤立感を深めた患者に対して、そっと手を握り続ける可能性を持つのは家族である。専門職には時間的な制約があるゆえに、それは出来ない。それならば、専門職は自らの限界を素直に認めよう。限界の外側にある重要な要素について、素直に依頼する勇気を持とう


専門性とは、自らの可能性を磨きあげるのと同時に、自らの限界を見定める力量を示すのである。



H23年9月  筆者 旧@yuumatan