リハビリテーション新聞: 患者が主体性をもって取り組める「課題」とは

ページ

患者が主体性をもって取り組める「課題」とは



利用者は、やらされ仕事にウンザリしている。しかし、あるとき、利用者の内部に、立ち上がりたいという欲求が生じる。そしてそれを行動に移した時に、私たちは利用者に肯定的な評価を加えていく。歩こうとするならばなおさら、私たちは歩行に付き添い、会話を交えながら、次には階段を登ってみようかと、次なる課題を提示する。


目標管理という堅苦しいことではなくて、利用者の自然的に発生する欲求に寄り添い、全面的に支えて、彼の主体的な挑戦に称賛を贈る。こうして構築される関係性の強化によって、私と彼の間で自然的に次なる目標が育まれていく。彼らの主体性を受け入れなげば、彼らもまた、私たちの提案を受け入れない。


まず、私たちは彼らを遠目でみる。専門職が介入せずに、影響を与えない状態での彼の動きに着目する。自然的に発生する欲求の動きか現れるまで、彼をじっと観察する。彼の中に最も小さなアクションを確認した時に、私たちは彼の側に近寄り、訴えを傾聴しながら、全面的に支援する。


こうして、利用者に良循環を生み出す雛形は形成される。まずは待つと言うこと。最初のアクションは利用者から生み出されなければならない。多くの場合は、スタッフの動きは性急で、見ることを怠り、スタッフの一方的な介入で埋め尽くされる


通所の介護士と話していると、どうも医療従事者に遠慮して萎縮している。それは入所でもそうで、介護士の全般に言えることなのだろう。介護士の地位向上が叫ばれるけれど、それは給与面ではなくて、自信と誇りの問題だろう。


介護度が5で、失語症の利用者がいるのだけれど、オムツ交換の最中に、オムツは嫌でしょうと語りかける。『足を曲げてお尻を上げる練習をしてみなよ。それなら家でも出来るから、お尻を挙げて僕の拳が入るようになったらトイレに行こうね。』と呟いた瞬間に、『本当ですか!!!』ビックリしたね!


次の利用日にはトイレに連れて行こう。トイレに行きたい人にオムツは要らない。身体機能の問題ではなくて、主体性の問題だ


H24年2月  筆者 旧@yuumatan 




<皆さまとの意見交換>

@shizu_kayori 私も主体性を尊重した関わりをしていきたいです★

@shizu_kayori まだまだリハは関わるべき部分に充足していないし、介護もまだ関わり方の吟味が必要で、可能性がある部分。互いの良さを生かせるチームアプローチができれば患者様の生活はよりよいものになりますね。

@yuumatan どちらか一方の飛躍では、利用者にとっては中途半端ですね。互いに高め合うための連携でありたいです。

@HEYJUDELAWEG12 介護に携わるあなた様のツイートに日々、心を打たれております!尊い介護の領域を、是非引っ張って下さい。僕も身の引き締まる思いです!僕も地域のリハビリテーションの発展の為、努力致します。

@yuumatan 互いに切磋琢磨しましょう!

@bridgeaichi 立てない患者に、立つ訓練をし、代償が出れば、それを伝える。患者は立ち方の分からない身体をフルに使って、立てというセラピストの無茶な要求に答えようとしている。それに文句をいう。患者からしてみたら、じゃあどうやって立ったらいいか教えなさいよ、ってゆう話でしょう。

@yuumatan 介護士の視点として突き詰めた結果と、理学療法士が突き詰めた結果がリンクしていることに驚きです。だからこそ、利用者の内面に沸き起こる最も小さな欲求を基盤にして、徐々に感覚を拡大していくんですね。

@bridgeaichi 課題やこちらの関わりの良し悪しの効果判定が、”笑顔”で判断しているのが、唯一科学性がなく曖昧なのが残念ですが(笑)

@yuumatan 関係性は相互的なんです。利用者の笑顔とセラピストの笑顔の間に何かしらの事実が伴って、そこに関連性があれば、主観ではなくて客観性になりうるんですね。

@elephant_pure 介護福祉士さんって本当にすごいなぁと、いつもツイート読んで思わされます

@yuumatan 介護を凄いと言える理学療法士が凄いと思いますよ!

@2008pt編集後記   主体性の伸ばし方と、課題設定について、私のツイートより引用します。 「 患者への課題設定。どう考えてもできることを課題にするんだ。ちょっと頑張ればできることを課題にするんだ。そして、後日 「すごい!できてるじゃないですか!頑張ったんですね!」とヨイショするんだ。それを繰り返すだけで、患者はどんどん元気になってしまうんだ。