リハビリテーション新聞: ショッピングモールのオーナーってすごい理学療法士だな

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ショッピングモールのオーナーってすごい理学療法士だな





平日の朝、近所を愛犬と一緒に散歩したとき、町全体が、健康に過ごすための巨大なインフラだと感じた。中でもショッピングモールは、下手なデイサービスより、町民の健康に貢献していると感じた。そんな話をする。


自宅から歩いて10分程度で、町一番のショッピングモールについた。そこには、車いすを押してもらっているおじいちゃんや、子育て世代が買い物をしている。老若男女が、1つのハコの中で活動をしている。


シルバーカーを押しながら、買い物をしているおばあちゃんは、背中がまがっている。ヨチヨチ歩きながら、広い店内を一周するのだから、いい運動になるだろう。レジを打っているひとはアルバイトの大学生だ。笑顔の接客が素晴らしいと思った。


ショッピングモールを後にして、だたっぴろい道を愛犬と歩いていた。すると、向こう側から、杖をついたおばあちゃん2人が歩いてきた。軽く会釈をすると、声をかけてくれた。「あら、かわいいワンちゃんね。何才?」 話しをすると、毎日、ケアハウスからショッピングモールまで買い物にいっているとのことだった。


そのおばあちゃんたちは言う。「近くに大きなスーパー(ショッピングモール)ができてよかった。買い物が楽しい」そんな話をきいて私は言った。「デイサービスにいくより、いい運動になりそうですね!」おばあちゃんたちは笑顔でうなずいた。


「気をつけてね!」と言っておばあちゃんたちと別れた後、町一番の大きな団地に向かった。その道中に考えたことがある。さっきのおばあちゃんは、杖で歩いているけど、弱ったら、シルバーカーや自動四輪になるんだろうな。さらに弱ったら車いすや付添が必要になるんだろうな。でも、あのショッピングモールなら、そんな人たちを受け入れることができるな。


とにかく廊下は広いから、車いすでも余裕がある。駐車場は障害者マークが店舗入り口にかなりの数が確保されている。そうやって、ギリギリまで買い物ができるだろう。ショッピングモールに買い物弱者を受け入れるだけの器があれば、ショッピングモールはデイサービスなど比較にならない健康施設になる。


買い物に行くということは、リハビリテーション施設で提供するのに苦労するさまざまな運動プログラムさえも、対象者が主体的に行うことになる。それは、外出のための身だしなみ練習、屋外歩行練習、買い物練習、重量物運搬練習、お金の管理の練習、町民とのコミュニケーションの練習などだ。


すごすぎる。理学療法士の私は、予防リハビリテーション、健康増進の分野において、ショッピングモールのオーナーに完敗だ。ショッピングモールのオーナーは、大人数の健康や交際に貢献し、町民の雇用も生み出している。さらには、耕作放棄地だった土地をショッピングモールにしてくれたのだから、そこでも町の資源を有効活用してくれている。


さて、そんなことを思いながら、大きな団地についた。そこには大きな公園がある。その公園も、さきほどのショッピングモール同様に、老若男女が活動している。テニスコートでは、中年の男女がテニスを楽しんでいた。広い運動場では、30人くらいの高齢者がゲートボールを楽しんでいる


遊具では、ママさんグループと子ども達が遊んでいるし、その近くの遊歩道には、定年退職したばかりにみえる爽やかなおじさんたちが、ホウキをもって掃除をしている。これらの景色をみて、この公園もショッピングモール並みに、町民の健康に貢献していると思った。


いち理学療法士は、ショッピングモールのオーナーに続き、都市開発のデザイナーにさえも、負けてしまった。予防リハビリテーション、健康増進の分野において理学療法士よりも、町民の健康に貢献している。どう考えても完敗だ。


愛犬の散歩を通して、この町には、健康にすごすためのハード面は整っていると感じた。そして、他の町をみてもハード面は整っていると感じる。町民が外出し、集まる場所はいくらでもある。よく考えられているし、町民はうまく活用していると感じた。


ただ、これでは満足できない。私は、集まるだけでは不十分だと思っている。公園にあつまっても、ゲートボールをする人、テニスをする人、遊具であそぶ人、掃除をする人、それぞれが分断されており、その接点がないのが問題だ。


例えるなら、デイサービスにあつまって、皆がもくもくと自分の好きなことをしていたり、家族団欒で皆がスマートフォンをいじって会話がない状態といえる。他者をよせつけない、排他的な活動をしているのだ。


では、どうやったら、分断されたものが1つになるのだろうか。それは、ハード面をさらに整備するよりも、ソフト面の整備だと思う。例えば、会話がない家族でも、一緒に食事をするという仕組み(ソフト)があれば、会話が生まれる。ただ、同じ場所にいるだけでなく、おなじ場所で同じことをしなければ、分断されたものが1つにはならない


さぁ、これらをヒントに、多世代交流の場をつくってみせようじゃないか。ただの人々が集まる場所ではない。人々があつまり、多世代が交流する場だ。予防リハビリテーション・健康増進において、理学療法士がショッピングモールのオーナーや、都市開発のデザイナーに負けていられないじゃないか



平成25年12月17日
筆者 Masaki Kimura