リハビリテーション新聞: ここまでお膳立てしても「なんちゃって作業療法」はつづく

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ここまでお膳立てしても「なんちゃって作業療法」はつづく




今からおよそ8ヶ月前に、現在の老健に転勤した時の状況は、まさに破綻と呼ぶに相応しかった。問題を羅列していてはキリがないから、ここでは省略するけれど、取り分けレクリエーションが実施されないことには驚いた。レクリエーションの質はどうであれ、実施されない施設というのは初めて見た。


今では多くの課題については整備が進んでいるけれど、レクリエーションについてだけは手を付けなかった。手を付けられなかったのではなくて、手を付けるべきではないと判断したからだ。けれども、その判断は大きなミスだったと、最近になってしきりに反省している。今日はそんな自戒を込めた話し…


多くの施設で見られる利用者のスケジュールを眺めてみよう。朝に起きて、朝食を食べる。僅かな食休みの後には10時の水分補給があって、嚥下体操やら集団体操があって、あっという間に昼食の時間が迫っている…施設主導のスケジュール管理があまりにも過密で、利用者の色が埋没しやすい。


それらは利用者の色を見失いやすいというリスクの他に、他職種協働という観点から眺めてみても、大きな問題を抱えていると感じていた。要するに、他職種が利用者の実生活に介入する隙間がないのだ。そうなると、他職種の介入は限定的になって、結局は機能回復に焦点を当てる他にないのである。


そうした実害を被っているのは、取り分け作業療法士だろうというのが自分の考えだった。フロアは介護や看護のテリトリーであって、作業療法士がフロアのデザインに口を出すことはできないという先入観は、利用者の本来の喜びを喪失させる。フロアとは専門職のものではなくて、利用者の生活の場だ。


だからこそ、利用者が主体的に生き甲斐を追求できるフロアのデザインは、他職種協働で実践するべきで、特に作業療法士に強くアプローチをしながら、権限移譲を行った。時間と空間を他職種に提供してから随分と経つ。けれども変化の兆しはない。退屈という苦い感触だけがいつまでも残っているのだ。


その人に意味のある作業をクライエント中心に練り込みながら、それを日常的に実践できる環境デザインを考案することが、作業療法の真骨頂であるという願いは、自分の思い込みだったのかもしれない。だから自分の勘違いだったという自戒を込めて、作業療法士を信じることに疲れてしまいました…



平成25年12月2日
筆者 @arigatou0321