リハビリテーション新聞: 利用者の利用者による利用者のためのデイサービスでは職員は黒子に徹する

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利用者の利用者による利用者のためのデイサービスでは職員は黒子に徹する



野村という作業療法士と、デイケアの立ち上げに関わったことを思い出す。誰の許可も取らずに、勝手に施設の庭にある人工芝を剥がす。『ここで畑を作ろう』 と利用者に呼び掛けて、利用者が穴を掘り、畑をデザインして、木材で規格を組み立てる。


『唐辛子を育てよう。烏も喰わないし、素人でも育てやすい!』

『唐辛子を育てたら、オリーブオイルに漬けると、ピリ辛で美味いんだ。それを販売しよう!』

『腐葉土をわざわざ購入するのは勿体無いから、公園に落ち葉を拾いに行って、自前で腐葉土を作ろう!』


利用者が次々にアイデアを出して、活動を生み出していく。専門職は彼らの主体的な活動を補助するだけだ。


『こんな錆びたスコップでは穴は掘れない。』と、業を煮やした利用者が、次の利用日に、ゴーグルとグラインダーを持参して現れたのは衝撃的だった。彼は火花を散らしながらスコップを研いで、生き甲斐に満ちた表情を浮かべている在宅での寝たきりの生活が、通所を利用する動機とは思えない姿だ。


『俺が居なくては困るだろう!』と、利用日でもないのに、タクシーで通所に駆けつける利用者も現れた。前方突進が著明で、歩き出すと止まれなくなり、壁に激突ばかりしていた利用者が、不思議と畑の活動では動作が安定して、室内の歩行も自立した。


施設からは全社的な批判を受けたが、僕たちにとっては、輝かしい成果が散りばめられた感動の日々だった。


『君たちは利用者の安全に対する責任を放棄している』と、管理者から詰め寄られた時に、『施設側は利用者の生き甲斐に関わる責任を放棄しているのだ』と言い返したら、彼は某然としていた。


個別の聴き取りをしたら、畑の活動をしたいというニーズは無かったのかも知れない。けれども、集団に対してコンセプトを提供することで、利用者は主体的に会議を開き、方向性を決定して、あらゆる活動を切り拓いた。個別という主流の概念では導き出せない集団力学の前例を、今日の朝にふと思い出した。


利用者と公園に行って、落ち葉を拾い集める。近隣住民と挨拶を交わして、自然的な交流が生み出される。


『あまりにも危険すぎる。転倒させたらどうするんだ』ど、施設側は憤りを隠さずにぶつけてくるが、『リスクがあるから専門職が同行するんだ。安全な環境下で専門職は不要だろう』と言い返す。


利用者に対する対応だけではなくて、スタッフへの教育についても、僕は体験を前提にする。リスクがあるからこそ、寄り添うべき僕たちがいるのだ。体験によってこそ実感が生み出されて、それを円滑に進行するための必要性を当事者が理解する。その時にこそ、初めて物事の質は飛躍する。


平成27年2月21日
寄稿者  @HarumaDream


管理人 編集後記   そうですね。”活動・参加” の場面を創出することで、機能の使用場面は飛躍的に増えます。 一方で、地道な機能改善を経て、”活動・参加” をうみだすこともできます。どちらが、自然かつ、利用者主体の活動なのかと問われれば、あきらかに前者。 とくに、”利用者が利用者の活動を主体的に考え、行動し、介助を要求する役割” というのは、これ以上ない、最高の役割だと思います。すばらしい!