リハビリテーション新聞: 感激 わが子がノーマライゼーションを体得している

ページ

感激 わが子がノーマライゼーションを体得している


画像引用 https://pixabay.com/


平成29年9月20日水曜日。今日、わが家の子ども達は、仕事の日です。


子ども達の仕事内容は、「敬老会」 での出し物です。


子ども達は、小さい時から、介護保険・障害福祉のデイサービスや入所施設で、1日を過ごしてきました。子ども達は、施設で「利用者と一緒に過ごす仕事」をしているのです。 保育所や幼稚園にはいかず、この仕事を通じて、多くのことを学んでいます。小学生は学校が休みの日に仕事をします。そして、仕事がない日には、近所の子ども達と遊んでいます。そんな生活が、もう4年になります。



施設利用者との交流


施設利用者との交流は、素晴らしいものです。
子ども達は、笑顔を振りまき、創作したものを見せたりします。
また、カラオケで流行りものを歌ったり、踊ったりします。
とにかく、いろいろとカワイイ話題を提供します。



高齢者・障害者との交流


高齢者や障害者の皆さまは、子ども達と一緒に遊んでくれます。
畳の上でジャレてくれたり、紙芝居を読よんでくれたり。
陶芸を教えてくれたり、茶道を教えてくれたり。
一緒に菜園のお世話をしてくれたり。




その光景をみて、我が家の子ども達は、とても恵まれてると思うのです。



なかでも成果を実感したエピソードは・・・



子ども達がブロックで、車いすにのった人を作り
「は~いトイレまで押しますよ~」
とか言いながら、遊んでいる姿を見たときです。


とても、感激しました。


「おお!!もしかして、、、我が家の子ども達は、福祉の ”英才教育” をうけているんじゃないか!?」


と、感じたほどです。





福祉の英才教育


さて、5年前、私は、次の問題提起をしました。

---  ここより  ---

老若男女、障害の有無は関係なく、誰もが同じように、住み慣れた地域で、馴染みの仲間と生活する社会。これが「当たり前」だという概念が“ノーマライゼーション”というものだ。この概念をもっとかみ砕くと、「共に楽しく」ということになる。

まぁ良く考えると当然のことだ。仮に、私が右脚を失ったとしたら、右脚を失った“特別な私”になるのではなく、“私”が右脚を不便に感じるだけだ。特別な生活はしないで、皆と同じように、住み慣れた地域で、馴染みの仲間と生活をするにきまっている。

ただ、正直にいうと、ノーマライゼーションという概念には、あまりに現実感がない。周囲を見渡してみると、子どもや、障害者、要介護老人を“特別なもの”としてみている。その証拠に、それぞれを隔離して、別々の箱にいれてしまっている。

「子どものため、障害者のため、要介護老人のため」 それぞれの施設が、崇高な理念を掲げて、彼らを特別扱いする。まるで、ハンセン病患者の隔離政策のようだ。彼らを、一か所に集めて、特別扱いするほど、ますます隔離は進んでしまうのではないだろうか。
---  ここまで  ---


福祉の英才教育の場がノーマライゼーションそのもの



そして今、目の前の、娘の姿に感動しています。


娘は、高齢者や障害者の皆さまの前で、堂々と「恋ダンス」を踊ったり、ピアノを弾いたりするのです。それも、主体的にです。


しかも、相手の高齢者や障害者の皆さまは、娘が小さいときから、一緒に遊んでくれている皆さまなのです。


この関係が、続くと、もっと素晴らしいことになるでしょう。
これからの発展を楽しみにしています。



平成29年9月20日
筆者 Masaki Kimura